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【黒歴史】"偽物"のFENDIを買ったら自己肯定感が上がった話【雑記】

1年前の今、僕はファッションのことが全くわからなかった。

 

 

どのくらい疎かったかというと、馬鹿の一つ覚えのように腰にチェックシャツを巻くことがお洒落だと信じてやまないほどの無知かげんであった。

 

 

そんな僕が「ハイブランド」という言葉を知ったのも1年前のことだったし、知ったところで「誰がTシャツに3万円も出すんだ」と半分見下したような気持ちで過ごしていた。

 

 

 

しかし、昨年の夏だったか。ファッションに全くと言っていいほど興味がなかった自分に大きな変化が訪れたのだ。

当時は"FENDIモンスター"なるものが大流行していた。可愛らしいお目目が描かれたアイテムが、可愛らしいとは言えない値段で取引されていく姿は、万年マックハウス人間の僕の目には異様でしかなかった。

 

 

YouTubeを開けばYouTuberが画面越しに可愛らしい目を向けてきて、繁華街を歩けば怖そうな兄ちゃんが可愛らしい目を向けてくる。大学に行くと誰かが必ずあの目を身にまとっている。僕を睨む目を毎日のように意識して数週間、僕はあの不思議な目の虜になっていた。

 

 

意中の相手を射止めるには自分の存在を意識させないといけないことは、どんな恋愛下手でも察しのつくことだろう。FENDIモンスターのあの目は、シンプルな形ながらも僕に何かを訴えかけていた。それは、深層にある"ラグジュアリーへの憧れ"だったかもしれないし、それとも単なる"所有欲を刺激するアイコニックなお目目"だったのかもしれない。

 

ただ一つ分かるのは、あの目は自分の意識を集中させるのに充分すぎる魅力を持っていた…ということだ。

 

 

 

さて、ここで1つ問題がある。FENDIはれっきとしたハイブランド。5000円のパーカーすら高いと思っている人間が定価10万円のスウェットなんて買えるわけがない。1円でも安く買うためにメルカリで探した。ヤフオクで探した。セカンドストリートもあちこち回った。しかし、金銭感覚がマトモな学生がポンと買えるような品はどこを探しても見つからなかった。

そこで目を付けたのが"偽ブランド"だった。愚かな僕は、怪しげな中華通販サイトで4000円程度のFENDIを購入してしまったのだ。

 

 

3週間ほど経った頃だろうか、大学から家に帰ると中国から黒い大きなビニール袋が届いていた。中身を切らないようソロソロと封を破ると、そこにはあのモンスターがいた。「FENDIがついに自分のものになった」と喜んだ当時の自分を殴りたいが、目の前にある肉厚のスウェットに描かれた記号は、確かに自分が憧れたアイツと同じ形をしていた。

 

 

 

 

____この後の自分の変化は文章にしたくないし、そもそも思い出したくもない。だが偽ブランドへの訣別の証、そして僕自身の成長の記録としてここに記すことにしよう。

 

 

まずは、周りの友人に見せびらかすところから始まった

「これ定価10万円もする服なんだぜ」と言えば仲間内での注目の的になるのは明らかだろう。服を褒められたことのない奴が自分の服を『羨ましい、すごい』と言われるのが快感だったのは言うまでもない。

 

次に、交友関係が広がった

顔見知り程度だった人間が「それFENDIだよね?」と言いながら近づいてくる。そして、相手に対する新たな発見があり、さらに他の人へと繋がっていく。高校時代にうまく人間関係を築けなかった自分にとって、この関係はとても心地よく、そして楽しいものだった。

 

また、この買い物は自分にとって未知の領域だった"ファッションの世界"の門戸を開いた

 ハイブランドや色々なブランドを知りたい」という思いから、検索履歴がブランドやデザイナーの名前で埋め尽くされた。「ファッションの面白さを1から学びたい」という思いから、本棚にはファッション指南書が並び、YouTubeの視聴履歴はげんじ氏とMB氏で埋め尽くされた。

 EDWINの折り返しブーツを捨ててVANSのスリッポンを買い、よれよれのデニムを捨ててトラックパンツや黒スキニーを買った。そんなこんなで"ファッション初心者"の称号を得るに至ったのだ。

 

 

 

たった2ヶ月の間で憧れのFENDI(の偽物)を身にまとい、友人の羨望や好奇心の眼差しを受け、新たな交友関係が生まれ、さらに"シャレオツなアイテム"を揃えた僕。この変化は自分の中で大きな自信に直結した。

  

 

 

 

ヒトは社会的動物である。我々は唯一的な存在として生活を営むのではなく、他者との関係において存在しているのだ。僕は"偽物のFENDI"というペルソナを被り、社会における他者との関係性を再構築した。その対価として得られたのが、ワンランク上の自分と新しい人間関係なのだ。

 

 

これを読んで下さった方の中には、「偽ブランドに頼らずとも自己肯定感を上げる方法なんて他にもあるだろう」という批判をぶつけたい方もいるだろう。

 

しかし、"偽ブランド"ほど被りやすい仮面はそう多くないのだ。数千円払えば皆が憧れるブランドロゴが手に入り、袖を通すだけで羨望の対象になれる。東南アジアの夜市では、旅行客がヴィトンの偽物を必死に値引きしようとする姿がイヤというほど目につくではないか。僕のような「ラクして生きたい」思考持ちの人間には、ハイブランドのロゴほどラクに自尊心を高めるものが存在しないのである。

 

 

 

"偽ブランド"に対して批判的な意見が多くみられるのは尤もな話だ。偽ブランドの購入は、そのブランドが築き上げてきた信頼、技術、価値を一瞬にしてコケにする行為なのだから。

だが僕は、自分で服を買ったことがないような人が一瞬で、なおかつ格安で自信を得られるチートツールこそが"偽ブランド"だと考える。偽物でイキることを恥と捉えるなら偽物を捨てて本物を買い集めればいいし、注目さえ浴びれれば何でもいい!と思うならどんどん偽物を買えばいい。法律で制限がない以上、線引きは各々のモラルに委ねられるしかないのだから。

 

 

 

 

 

また時間があれば僕が偽ブランドと訣別した理由についても書きたいと思います。では。